東京高等裁判所 平成4年(行コ)104号 判決 1993年6月21日
控訴人
角山正之
外二五名
右訴訟代理人弁護士
浅井利一
同
高池勝彦
同
武川襄
同
三堀清
被控訴人
文部大臣
森山眞弓
右指定代理人
青野洋士
外七名
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 (主位的請求)
被控訴人がいずれも昭和六一年三月三一日にした原判決添付教科書目録第一の目録番号一ないし五の図書に関する教科用図書の検定並びに被控訴人が平成元年三月三一日にした同目録第一の目録番号六の図書に関する教科用図書の検定(ただし、別紙控訴人目録中番号一から六までのそれぞれの控訴人らに対応して、順次原判決添付教科書目録第一の目録番号一から六までの各図書に関するもの)が無効であることを確認する。
(予備的請求)
右各教科用図書の検定(ただし、別紙控訴人目録中番号一から六までのそれぞれの控訴人らに対応して、順次原判決添付教科書目録第一の目録番号一から六までの各図書に関するもの)を取り消す。
3 訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
本件控訴をいずれも棄却する。
第二 当事者双方の事実の主張は、当事者双方において次のとおり当審において付加陳述したほかは、原判決の「事実及び理由」の「第二 事案の概要」中控訴人ら関係部分記載のとおりであり(ただし、原判決書六枚目裏七行目の「第三三号」を「第三二号」に改める。)、証拠関係は原審記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴人ら
1 行政処分の取消あるいは無効確認訴訟において原告適格が認められるためには、当該処分により自己の権利もしくは法律上保護された利益が侵害された場合でなければならないことは原判決がいうとおりである。しかし、当該行政処分を定めた行政法規が、不特定多数者の利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮して判断すべきものである(最高裁平成四年九月二二日第三小法廷判決・民集四六巻六号五七一頁)。原判決はこの点を考慮していない。
そして、その場合、右「保護しようとしている利益の内容・性質等」を考慮するに当たっては、当該行政処分が個々人に対してどれほど重大な利害関係を及ぼすかという観点からも判断しなければならない。右最高裁平成四年九月二二日判決は、この観点から原子炉設置許可処分という周辺住民に重大な利害を及ぼす可能性のある行政処分に対して無効確認または取消の訴えを求める資格を与えたのである。本件検定により適正な教育を受けるという重大な利益を害されるおそれのある控訴人らにも、同様の観点から、本件検定の無効確認または取消の訴えにつき原告適格を認めるべきである。
2 憲法二六条一、二項は、国に義務教育の制度を定め、一定の学校制度を定める義務を課したものであるが、一方、教育権には、憲法一三条の幸福追求権としての側面が含まれ、どのような教育制度を定めるかにつき国に裁量権があるとしても、無制限の裁量権を認められるものではない。国は、憲法二六条、一三条の規定上からも、誤った知識や一方的な観念を植え付けるような教育を強制するようなことは許されないのである(最高裁昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁)。これらの憲法の規定を受け、教育基本法、学校教育法等が定められ、それによって教科書の検定制度が定められている。検定制度は、このような憲法の教育権、教育基本法、学校教育法等の目的実現という公益のため定められたものであるが、生徒個人との関係では、適正な教育という目的以外に抽象的に教育の中立、公正といった目的があるわけではない。つまり、生徒は、憲法によって、適正な教育を受ける権利を有しており、国はその目的実現のために検定制度を定めているのである。検定制度は、教育制度の中立、公正のために定められ、その結果生徒個人が正しい教育を受けるという反射的利益を受けることになるというものではなく、生徒個人が適正な教育を受けることができるために、検定制度が定められているのである。したがって、検定制度は、検定を通じて生徒個人が正しい教育を受けるという、控訴人ら個々人の個別的利益を保護していると解すべきである。
3 国民には義務教育を受ける義務があり、その義務教育の過程では検定済教科書の使用を強制されているので、この検定に明白かつ重大な違法があったとしても、父母や生徒がその検定の無効等を主張できないとすれば、父母や生徒は、生徒が適正な教育を受けるという権利を甚だしく侵害されることになり、前記最高裁大法廷判決の趣旨に真っ向から反することとなってしまう。
4 教育は、心身ともに健康な国民の育成を目的として行われるものであり(教育基本法一条)、右にいう「国民の育成」とは具体的な個々の国民の育成を意味する。したがって、適正な教育内容によって保護されるべき利益は、直接に教育される生徒個人個人の利益であって、一般的抽象的な集団としての利益ではない。
5 控訴人らは、全国の同学年の生徒全員について違法な検定の無効確認や取消を主張しているのでもないし、検定制度そのものが違法であると主張するのでもなく、原判決添付教科書目録第一記載の教科書につき、その中の同目録第二記載の記述についてのみ違法性を問題としているのである。原判決が「検定を受けた教科書を使用して教育を受けることになる者は、全国の同学年の生徒全員という極めて広範囲の者となっている」というのは、控訴人らの具体的法的権利の主張を歪曲するものである。
二 被控訴人
1 教科書検定制度に係わる行政法規が検定を通して保護しようとしている利益は、抽象的、一般的、平均的利益、すなわち、集団として捉えた不特定多数の生徒の抽象的利益というべきであるから、このような利益は、教育の中立、公正という公益の中に吸収解消されるものであり、控訴人らの原告適格を根拠付ける法律上保護される利益に当たらない。
2 教科書検定制度が設けられ、検定が実施されることにより、内容においても形式においても適正な教科書が用意され、この教科書を使用して教育を受ける生徒は、公正で偏りや誤りのない内容の教育を受けることができるから、その意味において、教科書検定制度は生徒個人の育成に資し、生徒個人個人は公正で偏りや誤りのない内容の教育を受けるという利益を享受することができるが、このような教科書検定制度を通して保護される適正な教育を受ける利益は、抽象的、一般的、平均的利益、すなわち、集団として捉えた不特定多数の生徒の抽象的利益というべきであるから、右利益は、教育の中立、公正という公益の中に吸収解消されるものであり、生徒個人の個別的利益として法律上保護される利益に当たらない。
理由
一当裁判所も、控訴人らの本件各訴えはいずれも原告適格を欠く不適法な訴えであり、却下すべきであると判断する。その理由は、当審における主張に応じて次項の判断を付加するほかは、原判決が「事実及び理由」中「第三 当裁判所の判断」欄に記載するとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決書九枚目裏八行目の「十分に」を「充分に」に、同一二枚目表七行目から八行目の「教育を受けこと」を「教育を受けること」にそれぞれ改める。)。
二行政処分の取消あるいは無効等確認訴訟において原告適格が認められる「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利もしくは法律上保護された利益を侵害されまたは必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであり、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も右にいう法律上保護された利益に当たり、当該処分によりこれを侵害されまたは必然的に侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟あるいは無効等確認訴訟の原告適格を有するものというべきである(最高裁昭和五三年三月一四日第三小法廷判決・民集三二巻二号二一一頁、最高裁昭和五七年九月九日第一小法廷判決・民集三六巻九号一六七九頁、最高裁平成元年二月一七日第二小法廷判決・民集四三巻二号五六頁、最高裁平成四年九月二二日第三小法廷判決・民集四六巻六号五七一頁)。そして、当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮して判断すべきことは、控訴人らが引用する最高裁平成四年九月二二日判決の判示するとおりである。
控訴人らは原判決が右の点を考慮していないと論難するが、原判決は、その文言上も前掲最高裁平成元年二月一七日判決とほぼ同一の表現を用いており、当該行政法規が保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮すべきことは当然の事柄としてこれを判断しているものであるから、控訴人らの右論難は当たらない。
控訴人らは、右最高裁平成四年九月二二日判決を援用して、当該行政法規が保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮するに当たっては、当該行政処分が個々人に対してどれ程重大な利害関係を及ぼすかという観点からも判断しなければならないとして、本件検定により適正な教育を受けるという重大な利益を害されるおそれのある控訴人らに本件検定の無効確認または取消の訴えにつき原告適格を認めるべきであると主張する。しかし、右最高裁判決は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律の目的、関係条項の趣旨等を検討したうえ、原子炉事故が起こった場合にこれがもたらす災害により、付近住民が生命・身体等に直接かつ重大な被害を受ける蓋然性があることを考慮して、同法二三条、二四条に基づく原子炉施設許可処分は、これによって、右事故が起こった場合に直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の付近住民の生命・身体等を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解するのが相当である旨を判示したものであり、単に被害の大きさのみを考慮すべきものとしているのではないことは、その判文からも明らかである。そして、本件検定により、控訴人らがその生命・身体等に直接かつ重大な被害を受ける蓋然性があるとはいえないことは、先に引用した原判決の理由説示からも明らかであり、控訴人らが検定によって適正な教育を受け得るという利益は、公益の保護の結果生ずる反射的利益であると解すべきことは、原判決において詳細に判示しているとおりである。したがって、右最高裁判決を援用して本件訴えにつき控訴人らに原告適格を認めるべきであるとする控訴人らの主張を採用することはできない。
2 控訴人らは、検定制度は、生徒個人が適正な教育を受けることができるために定められているから、検定制度は個々人の個別的利益を保護するものであると主張する。確かに、検定制度の適正な運用の結果、生徒個人個人が公正で偏りや誤りのない適正な教育を受けるという利益を享受することができることは疑いない。しかし、本件で問題とされている中学校における教科書検定制度を定めた学校教育法四〇条、二一条、検定規則、検定基準等が検定処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質は、原判決が説示するとおり、教育の中立・公正等という公益、及びこれに対応する公正で偏りや誤りのない内容の教育を受け得る等という生徒ないしその親の側の抽象的、平均的、一般的な利益であるというべきであるから、これらの点をも総合して考慮すると、これらの検定制度を定めた法規が、不特定多数者である控訴人らの具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解することはできないのであって、これと見解を異にする控訴人らの主張は採用することができない。
3 控訴人らは、検定に明白かつ重大な違法があったとしても父母生徒らがその検定の無効等を主張できないとすれば、最高裁昭和五一年五月二一日大法廷判決の趣旨に真っ向から反することとなると主張するが、本件各訴えにつき控訴人らに原告適格があるか否かは、控訴人らに処分の取消または無効等確認を求める権利ないし法律上保護された利益があるか否か、すなわち、本件検定を定めた行政法規が、控訴人らの具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、控訴人ら個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解されるか否かにより決せられるべきものであって、本件検定自体に明白重大な違法があるか否かは、控訴人らが本件各訴えについて原告適格を有するか否かとは関わりのない事柄であり、検定制度を定めた法規が控訴人ら個々人の個別的利益を保護すべき趣旨を含むとは解されない結果、控訴人らが本件検定の無効等を主張することができないからといって、右最高裁判決の趣旨に反するというべきものではない。したがって、控訴人らの右主張も理由がない。
4 控訴人らは、また、教育基本法一条にいう「国民の育成」とは具体的な個々の国民の育成を意味するから、適正な教育内容によって保護されるべき利益は、直接に教育される生徒個人個人の利益であって、一般的抽象的な集団としての利益ではないと主張する。しかし、同法は、「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため」(同法前文)、教育全体の基本法として制定されたものであって、その基本法としての性格及び同法一条の文言等からして、同条が控訴人らの原告適格を根拠付ける条文となり得るものでないことは明らかであるから、控訴人らの右主張も採用することはできない。
5 さらに、控訴人らは、全国の同学年の生徒全員について違法な検定の無効確認や取消を主張しているのでもないし、検定制度そのものが違法であると主張するのでもなく、原判決添付教科書目録記載の教科書につき、その中の一部の記述についてのみ違法性を問題としているのであるから、原判決が述べるような「検定を経た教科書を使用して教育を受けることになる者は、全国の同学年の生徒全員という極めて広範囲の者となっている」というのは控訴人らの主張を歪曲するものであるとして原判決を論難する。しかし、ある教科書に対する検定処分は、まさに全国の同学年の生徒全員に関連する事柄であり、この検定処分の根拠法規が保護しようとしている利益は、公益、あるいは、これら生徒全体の抽象的、一般的、平均的利益というべきものであるから、控訴人らの右論難は当たらない。
三以上の次第で、控訴人らの訴えはいずれも不適法であり、これらを却下した原判決は相当である。よって、本件控訴をいずれも棄却することとし、控訴費用について民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小川英明 裁判官満田明彦 裁判官曽我大三郎)
別紙控訴人目録<省略>